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受講生のみなさん

【編集者注】ご存知の通り、毎年6月の第三日曜日は父の日です。現在家族の元を離れ中国で生活している内田さんが、父の日によせる文章を書いてくださいました。内田さんの飾らない言葉で描かれる、とある日本のお父さんのお話をどうぞ!


わたしの父  日本?内田智之


        今まで父に関する作文を書いたことが無いのでちょっと気恥しいですが、先生からいただいたせっかくの機会ですので、ここに書いてみたいと思います。今日が父の日というのもうってつけですね。この作文を父に見せる気はありませんが、それでも父のために書こうと思います。

まず、わたしの父を紹介します。父はおよそ55年前、内田家の次男として京都の郊外で生まれました。昔気質の家だったので両親は長男を重んじ、毎日の食事でも長男と父のおかずは明らかに差があったそうです。そのせいか、長男の身長は高かったのに(175センチ)、父は少し低め(168センチ)でストップしてしまいました。父は自分の身長については高校のころにはもう諦めていたようですが、自分の子どもの身長を高くするために背の高い女性と結婚しようというような面白いアイディアを当時から持っていたようです。おかしな考えのように見えますが、実はこれが上手くいったのです。母の身長は175センチ、子どもである我々兄弟は、わたしが178センチ、弟が175センチと、そこそこのところまで行きましたから。父の先見の明に感謝します!

次に、わたしから見てどんな父親だったかお話ししましょう。わたしが小さいころ、父は毎晩絵本を読んでくれました。わたしは寝つきの悪い子だったらしく、毎晩3冊読んでくれるようせがんでいたようです。今わたしが読書好きなのはひとえに父のおかげです。お父さん、お疲れさまでした!中学へ上がったころ、父はわたしの一番の友達でした。金曜日の深夜、しばしば二人でこっそりラーメン屋へ行ったものです。でも母はすべてお見通しで、わたしたちの秘密は必ずバレて叱られました。それでも父とわたしにとって、ラーメンはやっぱり週末の楽しみでした。ちなみに、そのころにはすでにわたしの方が父より腕相撲が強かったです。初めて父に勝った時以来、もう父が怖くなくなりました。父はちょっと可哀そうで可愛いと思いませんか?

小さいころからずっと、父から色々な楽しいことを教わりました。スキーや釣り、キャンプや旅行のスキルなどなど。勉強の方はどうだったかって?実のところ、学校でやる理論や知識方面の勉強は、父から教えてもらったことはありません。父は理論より実践の人だったからです。総じていえば、父は伝統的な日本の父親とは言えないでしょう。でもわたしは父から多くの深く有益な影響を受けました。

わたしもあまりいい子どもではありませんでした。中学から私立に通い、大学の時にはオーストラリアへ留学してバックパッカーをするために1年休学しました。わたしが自分で決めたことを父は尊重してくれました。当時はそれが当たり前のことだと思っていましたが、社会に出てからお金を稼ぐのがどれだけ大変なことか知りました。結婚はまだなので家庭を持つとはどういうことなのかわかりませんが、円満な家庭を築くのはおそらく並大抵のことではないでしょう。(我が家は皆とても仲がいいです。)わたしはずっと父のことを平々凡々な父親だと思っていましたが、実は平凡でありながらも立派な父親であったのです。自分が将来父よりもよい父親になれるかどうか、ちょっぴりプレッシャーを感じています。

最後に父に伝えたいことがあります。お父さん、今まで口にしたことはありませんでしたが、ずっとあなたを尊敬していました。あなたの子どもになれたことを幸せに思います。中国には「父の愛は山のようなもの」という言葉があります。その通りだと思います。あなたの身体は山のようにがっしりとはしてないけれど、あなたの愛は山よりも重い。あなたの愛は山のように、何も言わなくても伝わってきます。下の写真は5年前に撮ったものです。日本へ帰ったら、もっとたくさん写真を撮りたいですね。お父さん、大好きです!


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